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何と言うことは無い一日。何と言うことは無い日常。
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く:くり返す日々に


誰かが失った言葉 lark2.JPG
誰かが忘れた歌
拾い上げて歩く

眠る時間が長すぎる
とうに 星屑を拾う幸運は我には諦めた
けれど 肩の寂しさは間違いなく
黄昏れに生まれた子供のもの

眠り続ける日々に
誰かの詠唱が響く
額ずくのは 誰も知らぬ方向ではなく
長い眠りと目覚めの間の時間に
悲しむように 途切れず 歌声が 在る
存在は 花と草の間に

繰り返す日々に 飛び石の存在が美しい
繰り返す日々に 君の思い出ばかりが
何よりも 鮮やかだ。


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                                               もう戻れない5のお題


物語がいつも、二人の出会いから始まるのならば、

出会うまでに、二人が辿るそれぞれの道筋を、

人生と言ってみたり、航路あるいは空路を行く旅と呼べるのだろう。

あの時。

右の道筋を、私が行っていたら、誰と出会っていたのだろう?

左の道を、あなたが選んでいたのなら、何が待ち受けていたのだろう?

人生は、Yの字に分かれたり合流する道だったり、

それとも、自然に交差する十字路だったりするのかも知れない。

 

いつだって、答えは同じなの?

私の何処か、他人に好かれる所は、有るのだろうか。?

 ・・・・・あなたと同じ道を選んで来た訳では無い。

あなたは、今、何を見ているの?

 ・・・・・あなたと同じ風景を見て来たならば。もしも。
    そうだったならば。


たとえば、二者択一の、二度と取り戻せない時間を、

何故、二人きりで過ごす為に、使ってはいけないのか、

大事な選択。

いつだって、誰かを思うことは、究極の選択。

あなたのために、私が出来る事。


沢山の"もしも(IF)"の分岐。

いつか出会うだろう、二者択一。

081120_park2.JPG
でもね。


どちらを選んで来たとしても、きっと、”今”の私の答えは、


たった一つだったと、そう思うんだ・・・・。

本当に。
 

もう戻れない5のお題より


牧草を、食べる家畜の為の、

牧草を育てる場所なのだと、随分後で知りました。

拡がる緑は、子供の目には、海のよう。

風もさやさや鳴っています。

狭い道路をとことこと、たった三年、通った小学校へと歩きます。

一緒に通った仲間もいた筈なのに、何故かあの日は一人でした。

ひらひらと、目の前を、小さなものが、飛び交います。

表がグレーで、裏が青。

綺麗で、ちっちゃな蝶々でした。

表がグレーで裏が青で。

見分けられた己の目が、幼心に、何だか、誇らしく。

蝶々も学校に行きたいのかと。
真新しいランドセルを、かたかた揺らして見せるのでした。

シジミチョウと言うのだと、随分後で、知ったのでした。

幼い日の想い出は、色彩鮮やかな、アゲハチョウよりも、シジミチョウ。

今も、彼らの姿を見る度に、遠いあの日から、あの牧草地帯の緑の波。

幾度かきわけて、来たのでしょう。何度、青空、見上げて来たのでしょう。

空は、何にも、応えてはくれないのですけれど。

何故か、笑っておられる、そんな気がするのでした。

                              もう戻れない5のお題より

いつも時間がするすると、

調子良く、なだらかに、

流れているばかりとは限りませぬ。

あなたの知らぬ内に、日月は動く。
東から西へと、新たな夜明けの為に。
時は、動く。

余りに調子良い時は、楽師の奏でる楽の様。

規則正しく、美しく。

けれども、何かの拍子に、調子っぱずれの物音を、軋む様な、音を立て、

 

何かの拍子に、人は思い出す。

これは丁度、何かの音に似ているよと。

ああ、まるで、あの日、海に行った日の、私の掌から零れ落ちた砂の音。

さらさらと、寂しげな音を立て、

余りに寂しげな音を立て、

そうして私は、今。

泣いているのです。

砂が、零れ落ちて行くように。

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