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何と言うことは無い一日。何と言うことは無い日常。
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18:17 2008/11/25
〔木霊の森〕

木霊(こだま)の森。

恐ろしげな名前で呼ばれた所で、その森から、人が居なくなる訳

では無い。
いやあ。とんでもない。

炭焼き、樵、薬草摘み、漆に山菜採り、栗広い、渓流の魚を釣っ

て、魚河に売る人、木岸の皮を少しずつ、剥いで、これも薬にし

たり、染物に使ったり。
ああ、そうだ。お前さんの腰に下げている、それは、熊よけの鈴

じゃないかね。そうだろう、そうだろう。
そうだ、熊撃ちの猟師なんてのもいたなあ。マタギ?
うん、うん。

おや、びっくりしたかね。あの、声は何だって?
聞いたこと無いかね。とても人間の声とは思えない?
おいおい、それは、ちょっと酷いよ。もっとも、あの声が出せるよ

うになるまで、何年もかかるって聞いたからねえ。
出せたら、今度は、森の隅から隅まで聞こえる筈だってさ。
え?鷹匠さね。今、この小屋の外に出て、うん、と、青い空を見

上げてみれば、それは見事なクマダカが、お前さんの目には見

える筈さ。ゆったりと、それは見事に飛ぶのさね。あれを見ると、

そうさね、鳥になりたい、何て人間の気持ちも、少しはわかるよう

に思えてくるから、・・・面白い。
知っているだろう、旅人も通る。薬売りも来る。行商だって来るよ

。遠い街で何が起こっているか知らないな、なんて、存外、言わ

れる憶えも無いかもな。
其処を通る街道は、結構、上がったり下がったりが少ないから

ねえ。でも、そうそう、あの河は良くないよ。直ぐ、水嵩が増えた

り減ったりする。雨が降っても降らなくても同じさ。
思うに地下を通って来ている水が、雪解け水と混じったり混じら

なかったりして、それで、日によっては、濁っていたり、魚影が見

えるほど澄んでいる日が有るのではないのか。いや、良くは知ら

んけれど。

今日は、その街道に纏わる話をして上げようか。

鼻緒が切れた。
私の肩と言わず、背中と言わず、笠の下まで、細かい氷雨が染

み通り始めていた。尚も降りしきる赤や黄色の紅葉や楓を、私

は踏み拉いて行こうとするのだが、如何せん、足が進まない。
鼻緒の代わりは、持ってきたろうか。
吐く息が白くなり、手がかじかんで来るのが嫌でも解る。背中の

荷物が重い。
午後も遅い。今日中に通り抜けられると思った峠は直ぐ其処の

筈である。私は、焦っていた。
いや、正直、誰もが通る街道の上に自分がいるのだと思わなけ

れば、泣きそうにすらなっていた。
荷物が、たん、たん、と音を立てた。
今、通り過ぎて来た場所の枯れ葉が、強く水を撥ね、音を立てる

。見る間に、水の垂れ幕が、私ごと、辺りを雨の帳に包み込む。
これはいけないとばかりに、慌てて、私は雨宿りできそうな場所

を探した。
やがて、少し高みに枝を茂らせた、野太い一本杉を、茂みの向

こうに発見。不自由な足で、冷えて来た手で、濡れた草を掻き分

け掻き分け、其処を目指すと。
おや。辺りを見回す。
唐突に、ひょっこりと、広い場所に出ていた。
いやいや、この温かい匂い、手入れされた生垣は、確実に人の

住まいの物。
一本杉の枝の下、煙突が見えた。私はまろぶように進むと、扉

を叩いた。
「もうし。もうし。難儀しております。急な雨で。いたく困っておりま

す。どうぞ、雨宿りさせて下さらんか。」
呼びかけながら、唇は震え、脚絆に雨が沁み込む。もう直ぐ、体

温が濡れた着物と同じになる、と思っていると。
扉が開かれた。
山の精か。
見紛うた。
いや、まさしく、鄙には稀な美女であったよ。

囲炉裏に柴をくべくべ、色んな話をしてくれたものだよ。おお。本

人の事とかな。

御伽噺だ?

おお。御伽噺でも何も構わん。肌身に染み入り、骨をも凍らす、

あの雨の後で、熱い茶漬けを振舞われながら、アズマイチゲも

かくやと言う美女の口唇から何が欲しいと言うのかね?

男を待っているのだと。

ずっと、待っているのだと。

おや、どうしたね?何を震えている?

何をかね?何を言っている?

この家の訳は無い?全然違う?

そりゃあね。儂が暮らすようになってから、大分改築したものな。

女はどうした?

知っておるのではないかね?何もかも変わった。あんたが居ら

れた頃とは何もかも違う。キノコが採れる場所も。馬が水を飲む

泉の場所も。

しかし。女の家は違う。何も変わっておらん。そうだ。そういうも

のさ。

会いに行くね。猟師の休み小屋だったこんな小屋でも、住めば

都さ。あんたとあの女が出会った場所でも有るしなあ。

もう、雨が止むよ。

ほら、空が明るくなって来た。

 

             * The End *

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