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そうとも、友よ。
聞いておくれ。
これは、悲しい物語だ。
何処が悲しいかは、聞いてのお楽しみ。
おや、何処かに矛盾が有ったかな?
あれは、今日の夕暮れ、僕が川辺を歩いている時だった。
何をしに、そんな寂しい所を歩いていたのか、君になら、もう、分かるだろう?
寂しい所を歩いて見れば、少しは頭が冷えるかと思った。
サムとの言い争いが、余程身に答えていたらしい。
一問一答が、頭に蘇って、正直、心まで冷えた。幾ら、秋だからってね。
ミハエルは当然、サムソンの弟なのだから、学校に入った後の事は、サムに任せても良い筈だ。
それをつい、ミハエルの味方になったつもりで、サムとしなくても良い口喧嘩をしてしまった。
今は恥ずかしく思っているよ。
信じていないのかって?
ミハエルの事を?いや、とんでもない。
ミハエルが見たものの事を、僕が、軽蔑していると思うのかね?少しでも?
翅の有る人が、村長宅の庭園を、走り回っていた。並木道の上を、枝から枝へと飛び回っていた。なるほど、だ。
僕も、そうしてみたいよ。翼が有れば、ね。
今は、そんな事より。
川辺を村外れの教会に向かって歩いていた僕は、前方より吹いてくる風に、気持ち良さに目を細めていた。
すると、気のせいか、音楽まで聞こえて来るじゃないか。
幾つもの絃を直接爪弾いているような、美しい曲だ。微かに、歌声まで響いて来る。
高く、低く。思ったより、その歌手は豊かな音域を持っているらしい。
歌詞の意味が良く分からないのが、どうにも、口惜しいほどだ。
そう、分からなかったんだ。あれは、何語だったのだろう?
男か女か?
多分、そう、多分、男性だったのだろう。丁度、僕や君ほどには若い。
友よ、君にその事を最初に言いたかった。僕には、見えなかったんだ。
奏者、歌手の姿が。
川辺には、背の高い草と黄色い花が群れ咲いて、彼が何処にいるのか、僕には到底、見つけられなかった。
必死で探しても見た。草を掻き分けても見た。
声も掛けてみた。ただ、何処に向かって声を張り上げて探せば、分からないだけで。
夕陽が、足を速めて、地平に沈んで行く。私も、寺男である私も、帰らなくてはならなかった。
幼い頃に両親を無くした私を重宝して使って下さる神父様の為にも。
その時、曲調が変わった。ゆっくり、のんびりした曲へと転じた。
直ぐに分かった。この、誰かに呼びかけているような、話し掛けているかのような歌は、子守唄だと。
私は走り出した。教会までは、あっと言う間だった。
鐘を急いで鳴らしながら、私は、先程聞いた曲を、私の全存在をかけて、忘れようと努めた。
と、同時に、今では記憶すら薄れようとしている、若き日の母が、私に、どんな歌を歌ってくれていたのかを、思い出そうとした。
そうする事で、この金色の光に彩られた幻影から逃れられるのではないかと、一縷の希望に縋った。
友よ。私は、今では、黄昏れの、逢魔が時の伝説を知る一人だ。
私は、母の子守唄が、私の知らない言葉で歌われていたのを、思い出した。
と、同時に、いつの事か、一体、誰の仕業なのか、封印されていたとも思える、一葉の映像を思い出したのだ。
母の背には、彼女を心から愛した私の父には無い、日の光にも透ける、七色の翅が生えていた事を。
確かに、思い出したのだ。
初めっから、君に、その事を、話すべきだったのかも知れない。出逢った最初のあの日に。
僕達が、当たり前のように、一緒にいるようになる前に。
* The End *
偶然だとは思わない。
何かのきっかけは、有ったのだろう。
そのきっかけが何かは、もしかして、生涯かけても、私には見当も付かないかも知れないのだが。
秋風の吹く中を、私は一本道を歩いていた。すっかり、熱いビールが恋しい頃になってしまった。
ここを先途と啼く虫達には、私が目的を持って、この道を歩いて行くかなど、分かり様が無い。
ただ、私だけが急ぐ胸を抱えて、夜道を歩くのだ。村の真ん中の一本道、公有の井戸の側を通り過ぎる。もう直ぐだ。
村の出入り口が見える。
鍛冶屋の前を、行き過ぎれば。鍛冶屋は未だ少し、起きているらしい。灯りが揺れている。
何かが光った。
ホールド爺さんの幹の下だ。
村で、“ホールド爺さん”と呼ばれる檜の大木が有る。私の幼い頃から、彼は、“ホールド爺さん”だった。
固有名詞が付いているだけ有って、彼には伝説が沢山有る。
中でも知名度が高いのはやはり、仲間内の抗争に破れた妖精が此処に植えたと言うものだろう。
私は立ち止まり、しげしげと覗き込んで、目を見張って、立ち尽くした。
あえかな月明かりの中でも分かるのは、ホールド爺さんの根元に、緑の輪が出来ている事だ。
大きな葉を広げたクローバーの茂みが、丁度指輪のように、ぐるりと輪になっている。
その上で、光る、幾つかの物が、躍っていた。上になり、下になり、くるりと回転し、落下し、地面に叩きつけられる寸前で、浮き上がっていた。
妖精達の踊り。月下の宴が、行われていたのだった。
私の目を引き付けたのは、もう一つあった。月明かりの中で、何故そう分かるのかは判然としないが、明るい栗色の髪が目に付いた。
灰色の瞳が輝いていた。
巻き毛の、十やそこらの子供が、彼らと共に、踊っていた。楽しそうに。
器用に、翅の生えた妖精と手を取り合って。
「ローリー。」
自然に、見ている内に、その名前は出て来た。私の中から、一杯になったコップの内から水が零れるように。
彼は、私に気が付かないらしい。少なくとも、私には、そう見えた。
牧師の次男坊。ローリー=クロフツ。
ある朝、家を出て、お昼になっても、帰って来ない。村中総出で探し回っても見付からない。
半狂乱になって、牧師の奥さんは床に付いた。それでも、次の月のミサも執り行われた。
クリスマスのお説教も、例年の通り。
マルタ=ヒルデブラントの横顔、祈りを捧げる顔が、今年は青ざめて見えていた。長い髪に結んだリボンも元気が無さそうだった。
僕とローリーとマルタ。
ローリーとマルタと僕。
マルタと僕とローリー。
いつも、一緒に遊んでいたのに。朝から晩まで、泥んこだらけ。草だらけになって。
彼はいなくなった。マルタと僕。僕とマルタ。
何が悪かったのか、分からなかった、それも、確かだ。
夜風の中で、楽しげな少年は、やがて夜風に乗って、妖精の踊りは最高潮だ。
だが。
私は、村の出入り口へと足を向けた。
森の入り口の、猟師小屋で、マルタが私を待っている。その、健常で敬虔なるご両親も。
私の用件ならば、三日も前から告げてある。
背中を夜風が撫でて、少し寒い。ひょいと思った。
ひょっとしたら、今夜、危なかったのは、私では無かったのか?
ローリー、君は、寂しかったのか?仲間が欲しかったのか?
妖精は、そろそろ、君以外の人間をも踊りの仲間に加えて見たら、と、そう思ったのか?
だとしたら。
私の唇に、自然笑みが浮かんだ。
ポケットの中の、私のお守りに、そっと触れる。
今夜、マルタに贈る、私の愛の証。
彼女の誕生石、トパーズを飾った、婚約指輪だ。
永遠の子供である事など、私には、何の魅力も無い。
流れ星が見える。
銀色の輝線が、森の方へ向かって、真っ直ぐに、飛んで行った。
* The End *
「あ、すみません。」
自宅の玄関を出た時、明るい月が夜空にぽっかり浮かんでいるのを見て、何やら救われたような気になったものだ。
考えて見れば、何故、夜の夜中に散歩に出ようなどと思い付いたのだろう。
自分の発想ながら、理解に苦しむ。
思えば、今書いている小説の、第二章に入ってからの展開こそが、問題だった。
主人公が、最初自分の思っていた通りに動かない。
勝手な台詞を言う。
勝手にヒロインをお茶に誘う。
ほとほと、困りあぐねていた。
こんな事ではいけない、と思う。自分は、作中人物に対して、もっと、厳しくなければならない。
しかし、事態は、自分の考えていもしなかった方向にと、どんどん向かい始めているのだ。
月を見上げて、溜息を付いた。銀に輝く円い月。
月は僕の道標だ。
先程から、僕の歩調に合わせるかのように、殆ど、同じ場所に在る。
・・・・・あれ?
そろそろ色付き始めた銀杏並木の真ん中で、僕はふと立ち止まって、首を捻った。
あれ?
そういうものなのだっけか?何がって、ほら、月が。
月が。
胸にきざした疑問を、言葉にして見せんと、今一度、月を見上げたその時だ。
「あの、すいません。」
通りの向こうから、声が掛かる。一見して真面目な会社員風の男。未だ、若い。三十歳を幾つも過ぎていないだろう。
「はい、何でしょうか?」
警戒より先に、礼儀正しく振舞わなくてはいけない、と言う意識に駆られるとは、我ながら、冷静さは失っていないようだ。
自分の行動の自画自賛かね。これは?
男は、七三分けの顔で微笑みながら、こう言った。
「その、申し上げにくいんですが、」
「何でしょうか?」
街灯に浮かんだ相手の顔に、こんな季節のしかも夜だと言うのに、汗が浮かんでいるのを見て、気の毒になった。お困りのようだ。
「この辺りに、鍵が落ちていなかったでしょうか?」
「鍵?」
『鍵』と発音する時の相手の顔が、ちょっと表現のし難いほどに歪むのを見て、ますます気の毒になる。
散歩中と言う事は、暇なのだし。
「鍵ですか?」
「はい。古風な、最近ではあまり見かけないような大きな鍵なのですが。」
「大きな鍵ねえ・・・・。」
僕は、屈み込んで、探して見た。銀杏の下の草の茂みの中にも入り込んで見る。
「ああ、済みません。急ぐ余り、この辺りで落としたと言う事しか解りませんでしたので。」
「いや、お困りでしょう?」
家の鍵でも、車の鍵でも、勿論金庫の鍵でも、無ければ困る。スペアが有れば良い、と言う問題では無いだろう。
並木道の上、銀杏の木が影を落とす辺り。見当たらない。
溜息を付きながら、頭を起こし、背を伸ばしてみた時だ。
きらり。三本先の銀杏の幹。真ん中辺りに光るものが有る。
慌てて、寄って行くと、大きな枝の下、細い枝に、これまた糸の様に細い鎖で、ぶら下がりながら、夜風に揺れている。
「有った。」
銀色の、古風な造りの鍵。シックな装飾が施されているのがまた、時代を感じさせる。
「あ、有りました?!有りましたか。良かった。」
会社員風の男が、泣きながら、駆け寄って来た。いや、短い距離なのだが、本当に、脱兎の如くに駆け寄って来た。
「間違い有りませんか?」
彼に手渡しながら、僕は、まず有り得ないと思いつつ、訊いて見る。
「間違い有りません。良かった。。。良かった。。。。」
鍵を抱き締める様にして、胸に引き寄せている様を見て、僕は初めて、良い事をしたのだな、と思った。
「所で、聞いて宜しいでしょうか?」
「どうぞ。」
落ち着いた所で、僕は彼に切り出した。
「それは、何の鍵なのです?」
彼は、眼を見張った。余程、僕の質問が意外だったのだろうか?
しかし、直ぐにその戸惑った表情の代わりにふわり、と微笑んで見せ、
「ああ、そうでしょうね。不思議でしょうね。いいや。折角、見つけて下さったんですし、教えて差し上げましょう。お礼と言ってもそれ位ですが。」
細い鎖を軽く持って、月光に翳すように差し上げながら、どぎまぎしている僕に言った。
「で?」
僕は、促した。好奇心で一杯の声だと自分でも思った。
「これはね、“月の鍵”なのですよ。」
「月の、鍵?」
鸚鵡返しに僕は言った。
「それは、何です?」
「あの通りですから、今、月が。」
「はい?」
一緒になって月を見上げた時、流石に僕は異変に気付いた。
月が、何と、動いていない。少なくとも、この小一時間ほどで、ほとんどと言って良いほど、高度を変えていない。
異常だ。
光の輝きは、いつもと変わらないのに。全く。
「動いていないでしょう?」
直ぐ傍らで、声がした。僕は一つ唾を飲み込んで、頷いた。
「動いていない。・・・“月の鍵”だって?」
「はい。もう直ぐ、いや、直ぐに、正常な状態に戻りますから。それにしても、有難う御座います。お陰で、助かりました。あなたのお陰で。」
声が遠ざかる。有りか無しかの足音と共に、やがて、両方が消え去るまで、僕は、其処から動けなかった。
夜空の月の様に。
しかし、却ってそれが良かったのかも知れない。
程なくして。
濃紺の空に、ぎぎぎ、ぎりぎり、きーん、と言う音が、真っ直ぐ、地平から地平へと走る。
それと同時に、月の表面の銀色の光が、三割方、増したように思える。
次に、これまでの停滞した分を取り返す積りなのか、それと分かるほどに、月は、夜空を、ゆったり動いて、そして、また、ある一点で、停まった。
いや、実際には止まったのでは無い、動きがゆっくりになっただけなのだ。
月の軌道が変わらない事を、これほどに、喜びたくなったのは、生まれて初めてだった。
長い、長い溜息を付いた後、自分の影を、月光によって落とされた影を、蹴飛ばすようにして。
僕は、歩き出した。
家路へ。
秋風は、夜の更けるにつれて、冷たくなっていくけれど、僕は、平気だった。
胸の中心が温かい、月明かりがそうであるように。
何だか、今度は、自分の主人公と上手くやって行けそうな気がした。
とにかく、“彼”の言い分を聞く事から、始めよう。
そう、思った。
良い、月夜だった。
* The End *
虫の声が、とても綺麗な夜です。
読書に疲れて、ベランダに出ました。夜風が気持ち良いです。欠け始めた月を見て、欠伸をしたら、何の偶然か、月の雫が零れ落ちて来ました。
まっすぐ、此処にいる私の、口から喉に。
思わず、ごくんと飲み下しました。
甘くて、美味しい。ジェルみたいな食感です。
一番、似ているのは、レモンで香を付けた、カルピスでしょうか?
嘘だろうって。
いやいや。どうやら、月の光に魔法の力が宿ると言うのは、本当らしいのです。
こうやって、君の夢に、特別出演と言う、私の年来の夢が叶いました。
取り敢えず、お茶でも如何でしょうか?
カルピスかって?あなたが望むなら。
煎茶、緑茶、コーヒー、紅茶。
花のお茶でも構いませんよ。ボタンでも。薔薇でも。カトレアでも。
なるほど、ロシアン・ティーですか。
御茶請けに、ラスクや、
菫の砂糖菓子は、如何です?
月の魔法は、強力だって?噂では、
春一番に咲いた花の露の次らしいですがね。
さて。気になっていることを聞いても宜しいでしょうか?
この夢の記憶を、消しますか?あなたは、それを、望みますか?
明日の朝、眼が覚めたその時は。
もちろん、私に関する記憶、一晩だけの魔法使いとなったこの私の記憶も無くなっていますが。
折角の特別出演。残念な事は確かですが。
どうぞ。ゆっくり、考えて下さい。
時間は、たっぷり有りますから。。。。
* The End *
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