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何と言うことは無い一日。何と言うことは無い日常。
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「古代の遺跡の前で、写真を撮りたいなんて、お客さん、そりゃ、無茶だ。」

タクシーの運転手が、いつもの調子と言った様子で、遠来と直ぐに解る格好のお客を宥めている。

この地方の何処に行っても、同じような情景を見る事は出来るだろう。
背景は、様々だろうが。

今日のお客は、二人。熟年のいかにも正直そうな夫婦ものだ。
無理だろう。私は思った。
そんな事言っても。
品の良い奥様の手には、既にニコンが握られている。
旦那様の方は、憮然として、腕を組んで、遺跡を眺めている。

一番近い街から、車に揺られて二時間余り。だだっ広い、丈の低い草が小波のように揺れている。
山脈から吹き降ろされた風が、年中絶えることは無い。
草原のど真ん中に、その遺跡は有る。
千年近い風にさらされた神殿の前玄関とも伝えられる、古代の遺跡は、三角形の屋根を持っている。イオニア風の柱は、昼を過ぎた太陽の光の中、逆光となって、シルエットしか解らない。

「ご存知でしょう?遺跡って言うのは、文化財でして。特に此処のはね、文化庁から許可を頂いて、公開していると言う訳で。」

それにしても、良い天気だった。風が気持ち良いと、しみじみと思う。
連れと一緒に、他の観光客に混じって、そぞろ歩きながら、ふと、我々はどのように見えるのだろうと、想像してみた。

それが、この場合、重要な問題と言うわけでは無い。念の為。

兄弟かな?妥当な線だろう。

ただ、あまり、似ていないが。黒髪と金髪だし。

家庭教師と教え子の二人旅?

有り得るかも知れない。

「喉が渇いたか?ジョッシュ?」

ふと思いついて、ツアーの客と一緒にバスを降りた時から、黙りがちの連れに聞いてみた。

「いや。」

返事はすぐさま、返って来る。

「んー。でも、お腹は空いたかな?」

ほっとした事に、声は結構、明るかった。

「サンドイッチは売っていたかな?」

私は辺りを見回した。

「文化庁の遺跡なんだろう?ランディ?」

吃驚したように言うのへ、私は目を遣った。

いつも同僚と話すより、三十cmは低い位置へ。スーツにネクタイを締めた十代前半の少年が、こちらを見上げている。
唇の辺りが、やはり、お母さん似だなと、関係ないことを思った。

「何がだ?ジョッシュ?それと、文化庁の遺跡?言葉の使い方が間違っているだろう?それは?」
「良いのか?サンドウィッチなんか売って?」
「あら、坊や。ここのサンドウィッチは、文化庁で許可を得た人が作って、売っているのよ。」
横合いから、同じツアー客の女性が口を出す。

連れらしき若い女性の所へ戻って、
「あの金髪の坊やがね・・・。」
と、報告を始めるのを待ってから、

「そうだってさ。」
私は言った。肩を竦めながら。
「わっかんないなー。」
ジョシュアはふくれっ面でそれに答えた。
「大人のやる事って。」
その後、私を見上げ、一言。
「あ。」
と言った。およそ予測された展開であったので、眉を上げて見せ。
「勿論、僕はまだまだ、若いとも。」
と、言ってやる。
「ごめん。そんな積りじゃ。」
「止せよ、ジョッシュ。」
私は言った。・・・・そうしないと、こちらが泣きそうだったのだ。

不意の攻撃は、未だに慣れない。成る程、“コミュニケーションは会話。”か。

「何か、思い出せそうか?」
「ううん。」

即座に首を振る彼のことを、流石に可愛らしいと思った。今にして良く分かる。
大人たちが、彼を、彼の方を呼んで、お菓子をやって、『皆で分けなさい』と言った理由が。

しかし。実は、我々は、同じ歳なのだ。

今、ジョシュアは、十二歳位にしか見えない。
私を見て、十八歳以下だと思う人間はそうはいない。事実、二十歳になっている。

だが、出生届は、一ヶ月違いで提出されている。

およそ、信じられない事実だが。

あの日の事は、良く憶えている。いや、忘れられない。

ジョシュアがいなくなった日の事を。


私達、ジョシュアと私が生まれ育った小さな村にも、この土地と同じように、小さな、古代の遺跡が有った。

隠れんぼしていたジョシュアが、太い柱の一本を、くるりと回りこんだ。
そして、それきり、消えたのだ。

声を涸らして探しても、彼は出て来ない。村を挙げて探しても、結局、行方不明とされた、あの日の事を、私は未だに忘れない。

もしかしたら。それだけなら、良く有る《神隠し》で済んだのかも知れない。
(しかし、子供の行方不明を『良く有る』と表現しなくてはならないとは。正直、心中忸怩たるものがある。)

異変は二ヶ月前。彼が、ジョシュアが、村の中心部、井戸の側で発見された事に始まる。
そのままの姿。行方不明になった日と、そっくり、同じ姿で。

知らせを受けて、私は大学に休暇の届けを出し、走りこむようにして、村へと帰還した。

その時、初めて確認されたのだが、彼は行方不明になってから、今日までの記憶を、すっかり、失っていた。

何処で何をしていたのか、
どんな暮らしをしていたのか、今に至るまで解らないままだ。

最初、彼は、私の事をなかなか、認められないようだった(それは、そうだろう)。

しかし。彼の失われた記憶を探し出そうと、近隣の遺跡を経巡り歩いたり、相談に乗ったりしている内に、言って見れば、昔の“勘”が立ち戻って来た。

最近では、私と会話しながら、笑顔を見せる事も有る。

ジョシュアが、ふと、溜息を付いた。
私は彼の肩を軽く叩き、

「やはり、飲み物を買って来る。サンドウィッチを喉に、詰まらせる訳に行かないからな。」

「あー、その、使ってすまない。ランディ。」

古い歴史の有る遺跡を眺めながら、眉根を寄せ、考え事に耽っている風のジョシュアに軽く手を振って、私は売り子のいる方角、見当をつけていた方へと歩き出した。

風が追い風に吹き、彼の呟きを私の耳へと届けた。まるで、それこそが、古代の魔法であるかのように、その時、思えた。

風は、言った。幼友達の声で。

「リップ・ヴァン・ウィンクル。まさか、自分の身に起こるなんて。」

妖精の国で一日暮らし、還って来た時には、生まれ故郷には、誰一人、彼を知っている者がいなかった。
妖精国の一日は、人間の百年だったのだから。
有名な伝説の主人公の名。

私は振り向いた。彼が、確かに、其処にいるのを、確認する為に。

そうせずにいられなくて、振り向いた。

そして、其処にいる彼に、私は手を振った。

もう一度。

 

      * The End *

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