[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日も暑い。いや、この時間ならそうではない。暑くなりそうなのだ。
汗の雫を、手縫いのハンカチで拭う。
妹の笑顔が、不思議と涼しく脳裏を通り過ぎて行く。
向こうから、誰かが来る。
反射的に、私は頭を下げる。
旅装束の、埃まみれの靴が、否応も無く眼に入る。
はあ。
相手の付いた息が、蝉の聲に、次の瞬間、消された。
二三歩歩いて、不意に振り返った。背中で、商売物の靴直しの道具が、からりと、揺れる。
旅人の背中が、特に急ぐでもなく、木漏れ日の向こうに消えて行くのが見える。
行商に向かう私とすれ違ったのなら、この方角は、紛れもなく、私の住む村の方角。
詮索がましいことは好きではないが、村に住む誰かに用事で遣って来たのだろうか。
あと小一時間で、村の出入り口だと、励ましたくなったが、もう、時機を逃したろう。踵を返した。
夕方まで、隣村で、木靴を相手に、格闘しながら、あの道を見ていた。
誰も通らない。また、誰かが私に声を掛けたりもしない。
さて。私は立ち上がった。
沈み行く太陽と競争で、私の村に、家族の待つ家に、帰り着かなくてはならない。
疲れ切った身体にも関わらず、私の足は軽い。
村の誰かのお客の事が、こんなにも気に掛かる。
一陣の風を、額に浴びたように、気持ちは爽やかだった。
あの旅人は、外の世界の、どんな物語を、届けに来てくれたのだろうか?
帰り着いた後に、きっと、誰か親しい人間から聞けるだろう、話が楽しみだった。
情報発表時刻 | 2009年8月9日 20時2分 |
発生時刻 | 2009年8月9日 19時56分ごろ |
震源地 | 東海道南方沖 |
緯度 | 北緯33.1度 |
経度 | 東経138.5度 |
深さ | 340km |
規模 | マグニチュード 6.9 |
宇都宮市は、震度4でした。
結構、長時間の揺れでしたので、少し怖い思いをしました。
地震と雷の両方が体験出来るというのも、珍しいですね。(苦笑)
リュウノヒゲの茂みの上に。
朝露にびっしょり濡れた、奇妙なものを発見。
透明な、きらきら光る、蝉の抜け殻。
およそ、信じがたいものを、拾ってしまった。
宝石で出来ているのか?
・・・・どうも、そうらしい。。。
絶句。
sigh。。。。
重さが違う。
固さも違う。
なのに。
試しに鼻を寄せてみる。
蝉の抜け殻の匂いだ。
如何すればいいのだろうか?
我が家より続く、森の小道をとっとと歩く。
そう言えば、今は七月だ。始まったばかり。
この森を、虫取りの小学生が駆け回るには、未だ早過ぎる。
途中、友人に会う。僕の家に来る途中だったらしい。
しめた。
彼は、超常現象に詳しい。
聞いて見よう。
新型サイクロトロンには、核融合と分子変換が出来るらしいね。
彼はにべも無く答えた。
でも、こんなに都合良く、宝石が出来るとは聞いていない。
がっかりして、掌の上の抜け殻を落とさないように歩いている。暑い。帽子を被って来て良かった。
そう言えば、掌の上の蝉も熱い。まるで、自ら、光を放っているようだ。
そんな筈は無い。慌てて、抜け殻を見る。
背中が、ぺらりと割れた。僕と友人が固唾を呑んで見守るその眼前で。
中から、雪よりもなお白い透明なまでに真っ白な、一人前のクマゼミが現れた。
抜け殻では無かった。
たった今。羽化したのだ。
翅はためかせて、彼(もしくは彼女)が、ブナの森に消えた後。
何処から現れたのだろう、蝉の大合唱が始まったのだ。
四方八方から降り注ぐ、セミ時雨を浴びながら、僕は言ったものだ。
「一体、今年の夏は、どうなっているんだ?」
「おや、君、解らなかったのかい?」
友人はそんな僕を振り返ると、こともなげに言ったのだ。
「たった今、夏は始まったのだよ。」
と。
* The End *
モーツァルトの死に際しての、有名な伝説がある。
もっとも、多分に事実に基づいているものとされるが。
1791年7月。
アマデウス=ヴォルフガンク=モーツァルトの元に、突然現れた、灰色の服を着た男。
その用件は、“レクイエム”つまり“鎮魂の曲”の作曲依頼であった。
レクイエムとは、カトリックの葬儀用音楽である。
既に体調は悪く、何度も倒れていたモーツァルトは、依頼されたレクイエムが、自分の為のものであると言う、考えに取りつかれた様に、夢中で作曲に取り組んだと言う。
それこそ、寝食も忘れ。
同年12月。モーツァルトは亡くなった。三十五歳の若さであった。
レクイエムは、未完成のまま、この世に残された。
(参考図書;読むだけで通になる クラシック面白エピソード 宮本英世著 ヤマハ刊)
“キング・オブ・ポップ”の元へも、誰かがレクイエムを依頼しに訪れたのだろうか。
その内、多分、彼の遺作集と銘打ったアルバムが何枚か出される事だろう。ビジネスライクとは思わない。彼の業績と生きていた間の音楽活動において、それは当然の帰結であり、結果である。
マイケル=ジャクソンの死が、未だに信じられない。何度も記事を見直した。
現代の常識に照らしても、あまりに早過ぎる死。
今はただ、呆然としながらも、冥福をお祈りしたいものとする。
アーメン。
あなたの(出演した)映画と、あなたの(作詞作曲し踊った)音楽で、それでも、東洋の島国のそのまた片隅で、元気になった者が此処に居ります。
どうか、楽神が、天にあなたの場所を設けて下さる事を。
安らかに。
あなたは、私に、もしかしたら、天空の満ち欠けする月も、踊り、歌うのかも知れない、と言う、奇跡を信じさせてくれた。
ほんの少し、私の目にはまた、人類が何度かその足跡をその表面に刻んだ月が、遠く感じられる。
もう、あなたの新曲が作られることも無いと思うのが、ともかく今は、残念でならない。
|
|
|
|